武田家臣時代から真田信繁とかおかしい

      2016/06/09

真田信繁 ないよ

どうも、デコポンです。

真田幸村が実は真田信繁という名前であることは知っていますか?
真田幸村という名前は史料では確認されておらず、信繁の名で確認されています。

幸村ではなく信繁である。実はこれ前から言われていたことです。
しかし、武田家臣時代から信繁であることに私はものすごい違和感を抱きます。

何故なら、信繁の「信」の字はそんな簡単につけてはいけない字だからです。
どういうことなのか参考にしてください。

武田の通字の「信」をもらったのは信幸

真田信繁が武田家臣時代に信繁を名乗っていないだろうと思う理由は
まず通字をもらったのは嫡男の信幸です。

当時、戦国大名からその家の通字をもらうのは名誉なことであり、権威付けになります。
通字とは家でずっとつけている名前です。

ちなみに通字とはその家の当主が決まってつける字です。
武田家ならば、晴信、信虎、信縄、信昌、当主は通字の「信を」名乗るのが基本。
伊達家ならば、政宗、輝宗、晴宗、稙宗と「宗」の通字を名乗るのです。

この通字を家臣にあげることで当主は家臣団を統制します。
もらう家臣も嫡子に上司である通字をもらい、後継の決定を公表します。
当主としては名前をあげたのだから、私のために頑張ってくださいねということです。

目上の人からもらう字なので、名前の上にします。
上司である武田家からもらった信を上。
下の字は昌幸の幸の字で。

信幸となります。

真田昌幸は真田信幸を真田家の後継者と決定したのです。
武田家から信幸が真田家の後継であることを認められます。
昔は後継問題がトラブルのひとつなので、なんとかして家のことを保証してもらう必要があったのです。

真田昌幸がもう1人の息子、源次郎後の信繁に武田の通字を名乗らせるでしょうか?
信の字をもらえば、武田家臣団の中で発言力、権力を高めることができます。
しかし、真田家はそんなに信の字をもらえる家ではありません。

真田昌幸は真田幸綱の三男なので、信の字はもらってません。
もらったのは長男の信綱だけです。
他の兄弟は信の通字をもらってません。

ちなみに信尹は昌春です。信尹と名乗るのは武田家滅亡の後となります。

家臣団も「あれ、兄弟で通字をもらったけど、どっちが家を継ぐの?」
と混乱してしまいます。
その混乱で家中分裂の危険にもなるから、やはりもらえたとしても信幸だけにしたでしょう。

真田家が武田の一門衆とか譜代の家臣である家ならば信の字をもっと授かったのでしょうが。
ちょっと武田時代から真田信繁なのは無理があるのではないかな~というのが私の主張です。

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信繁の名前は武田信繁からもらったとするなら

真田信繁の信繁の名前は武田信玄の弟である武田信繁からもらったという説があります。
武田信繁は武田信玄の弟で名将であり、信玄の信頼が厚く川中島の戦いで戦死します。
しかし、その奮戦ぶりから後年「真の武将」と言われます。

真田昌幸はこの武田信繁にあやかって、信繁の名をもらったとのことです。
昌幸が信幸を盛りたてて欲しい、昌幸が武田信繁を尊敬していたことが理由とのこと。
ねえよ、マジで。

まだ手柄もない、おまけに嫡男でない、真田家は一門衆でない
信繁の名前なんかもらえるわけありません。
昌幸本人が通字ももえらないのに、どういうことなのでしょうかね?

ただ可能性がないわけではありません。
真田家のままでは、信繁の名前が無理でも
武田信繁が継いだ家の養子になった可能性があります。

武田信繁は武田一門です。
武田家が信濃に侵攻した時に、反抗勢力を懐柔させます。
懐柔方法は反抗勢力に対して、養子を送り込むことです。

武田信繁の息子も望月家の養子になっています。
で、この武田信繁の息子が実は病弱だったらしいです。

武田信繁の後を継いだ武田信豊は真田家に近い、小諸を拠点として勝頼の信頼できる武将です。
もちろん、昌幸も信豊の指揮下に入り、西毛地域を中心に沼田の現場指揮官とした働いていました。
信豊とのコネを活かして、
武田信繁の息子が養子に入った望月家に次男の源三郎をブチ込んだのではないでしょうか?

これなら、信繁と名乗っても問題ないでしょう。
武田信繁の家に養子として入ったのですから。

なんとも無理のある仮説です。はっははは。

私の主張は武田家時代から真田信繁の名前はちょっと無理があるということです。
ただ、真田信繁が信繁と名乗っていたのは事実です。
ちゃんと書状にも「左衛門佐信繁」と確認されています。
それでは、でこぽんでした。

 

 

 

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