【歴史】真田安房守昌幸?安房守(あわのかみ)とはなんだろう?

      2016/09/03

真田安房守昌幸?安房守(あわのかみ)とはなんだろう?

どうも、でこぽんです。現在絶賛放送中の大河ドラマ真田丸大人気で、私も毎日日曜日の20時になるのを楽しみにしてます。

真田昌幸(さなだまさゆき)は大河ドラマで、何故真田安房守(さなだあわのかみ)と呼ばれるのでしょうか?

※安房は現在の千葉県の一部です。

そもそも安房って長野県の武将である真田昌幸に全然関係ないじゃんとか、昔の日本人はミドルネームがあったかのかよと思うかもしれませんがこれには理由があります。その理由を私なりにまとめてみたので、読んでね~。

 

本来は朝廷からもらうのが正しい

真田安房守の安房守ですが、これは官職名なんです。官職とは奈良時代に作られた律令体制下のもので、作られたものです。
播磨守(はりまのかみ)上野介(こうずけのすけ)弾正(だんじょう)左馬頭(さまのかみ)とか
(まあ色々ありますけど、こんなの覚えていたら眠ってしまいます)

色々な役職を朝廷が必要に応じて任命します。朝廷の権力が強かった時代は、天皇や貴族の力が凄いですからね。ある国で徴税が上手くいかない場合はその土地に詳しい人とかを派遣して、功績をたくさんあげると、朝廷から褒美として良い官職をもらるのです。

官職をあげるのは朝廷だけです。朝廷だけですから、ひとつの官職に2人とかは原則的にはないのです。関白が2人いるとかありませんからね。

あと目的に応じて官職を与えています。例えば、平清盛は播磨守(はりま)に任命されました。

※播磨は現在の兵庫県の一部

 

平清盛が播磨国で徴税と治安維持をしやすいように播磨守という肩書を与えたのです。今でいうなら、京都本社の大会社から兵庫支社の社長として派遣される、そんなようなイメージでいいかな~と思います。

社長の肩書を与えて、兵庫支社の管理を任せるのが普通で、なんにも肩書がないおっさんが急に職場で仕切り出すなんてありえなことですからね。なんだ、このおっさんとか不思議がられてしまいます。

しかし、戦国時代になると同じ官職名を名乗る武将が現れます。例えば柴田勝家と内藤昌豊で、2人とも柴田修理亮(しゅりのすけ)、内藤修理亮を名乗ってました。

しかも真田昌幸のように全然関係ない安房守をもらう武将まで現れます。当然ですが、昌幸は安房国とか縁はありません。

おい、官職をあげられるのは朝廷だけなのに何故同じ官職を異なる2人が名乗ってるんだよ?信濃(しなの)の武将が何故安房守が名乗ってるんだよ?と思うからもしれませんが、ちゃんとこれには理由があります。

Sponsered Link

 

それぞれの大名が勝手に官職をあげる

時は戦国、力がものをいう時代です。朝廷と幕府は全国の大名を掌握できる力はありません。朝廷は内裏造営もできない、幕府は将軍が殺されたりで世の中たまったものじゃない状況です。

朝廷も幕府もあんまり頼りになりません。では、誰が強いのかと言うと・・・強いのはその土地で力を発揮している戦国大名です。

戦国大名が家臣団に対して、家臣統制のために官職をあげるのです。本来なら朝廷に許可を取ってあげるのですが、面倒だし金もかかるので大名が勝手に家臣にあげます。官職をあげるのが朝廷でなく大名になってしまったのですが、ただこの官職は正式なものではありませんでした。

信長の野望というゲームでは官職を貰う時は朝廷に献金することで、献金の見返りとして任意の官職がもらえます。貰った官職を家臣にあげることで、その家臣が忠誠度がアップします。

当時の官職は名誉職みたいなものになってしまったのです。

官職をあげる時は例として、戦で手柄を立てた武将に官途状で官職を与えます。また、城主になる時に無官職では領民に馬鹿にされることが予想されたので、大名が城主になる家臣になんらかの官職を名乗ることを許可します。大名がそれぞれに勝手に官職をあげるものだから、全国各地に同じ官職を名乗ってしまうのです。

朝廷に献金できるほどの力のあった戦国大名は正式に官職をもらいます。正式にもらうことで支配の正当性を朝廷に公認されますが、その朝廷自体に力がないのでね・・・意味なくねと私は思います。

確認できるものでも、同じ官職を複数人が自称してます。もしかしたら、確認されていない小さい勢力でも自称した人物がいるかもしれませんよね~。

真田安房守昌幸ですが、安房守の官職はおそらく武田家にもらったものでしょう。最初に苗字を持ってくるのが武家社会では一般的ですので、真田が先頭に来ます。次に官職名が来ます。官職名は安房守ですよね。最後に名前が来ます。

官職名は名誉職みたいなもので、権威づけの一種です。戦国時代では基本的に自称する人が多かったのです。だから、真田安房守なんです。真田家の安房守を名乗っている人と社会的に認めれていたのでしょう。

 

正式に安房守になったのは1594年

真田昌幸が安房守になったのは1594年豊臣政権下です。それまでの安房守の名は武田家からもらったものでしたが、この1594年の朝廷から正式にもらったものです。

何故正式に安房守をあげたのかというと朝廷に参内するためでしょう。朝廷で働くのに、なんにも肩書きのない田舎大名では形式的にまずいですからね。社会的ステータスが正式にない人物が朝廷で働くわけにはいきませんから。

朝廷では従五位下にならないと参内できる権利はなかったので、豊臣家から安房守を正式に叙任されたのでしょう。

 

まとめ

本来は朝廷が仕事に任命する時に、官位を授与しました。しかし、戦乱により戦国大名が家臣団を統制、序列化する時に官位をあげるようになりました。官職は戦国時代の時にあくまでも名誉的になったのです。

 

それでは、でこぽんでした。さいなら~。

 - 歴史, 日本史