【歴史】御館様と殿様は上様は何が違うのか?

      2016/06/09

おはようございます。デコポンです~
私は歴史の漫画やドラマをよく見てます。真田丸もね。
好きなので大河ドラマを見ていて、不思議に思うことはありませんか?

例えば武田信玄は「御屋形様」と呼ばれます。ゲームでも御屋形様で、戦国BASARAで幸村が叫んでますよね。
しかし、信長は殿ですよね。家康も同様に殿です。

何故、そんな違うがあるのかわからないと感じたら、
簡単に言うと御屋形様=室町幕府公認なのです。

気になるなら、どんどん読んで御屋形様の謎を理解してね。

御屋形様は室町幕府公認

まず、武田信玄がよく呼ばれている御屋形様と名称です。
屋形に関する話題は武田信玄が生まれる以前の話である室町幕府前半の頃のお話。

この御屋形様と言う名前は室町幕府から公認された名前であります。
室町幕府が一門(家族)、ある地域での影響力が勢力に対して、「屋形」を名乗っていいよと許可するのです。
ある地域での影響力を示した家とは武田家、大内家、今川家、畠山家、細川家などなど。
先祖代々その地域を支配していたり、幕府の有力な武家です。

将軍の権力を後押しに地域での支配力アップに役立ち、幕府としては地方の有力勢力を支配体制化に組み込む狙いがあったの。
偉い人がその場所を支配を任せたというのです。周りの人だっていう事聞かざるを得ません。

「室町幕府の将軍様から私は屋形の号をいただきました、皆さん私のいう事を聞いて悪いことをしないでね。」
屋形の名前=室町幕府からその土地を支配していいよと許可されたということです。

屋形の号を頂いた殿様をなんというのかと言うと、御屋形様と言うのです。
まさか部下なのに、屋形さんなんて言えません。様をつけないと怒られちゃいます。
目上の人なので御屋形様と呼ぶことが定着していくのです。

御屋形様の名称はもらった人の権力が高まります。
戦国大名に限らず、どの支配者も自身の権力を高めようと努めます。
越後の守護代長尾為景は屋形の名称を貰うために、幕府に献金して屋形の号を頂いていました。
越後を統治するために、権力を向上させて越後国内の反乱分子を従わせる必要があったのでしょう。

御屋形様の名前は室町幕府の公認であるといいました。
戦国時代になると室町幕府の力が弱まり、幕府からの公認よりも実力がものをいう世界になります。
だから信長などの新興勢力、下剋上を果たした大名は御屋形様とあまり呼ばれません。

信長は足利義昭を奉じて、上洛を果たしていた時に義昭から褒美として管領職をあげようとしました。
しかし、信長は管領になりませんでした。この時御屋形様の名称だって欲しかったら、貰えたはずです。
信長はそんなの興味なかったのです。もう自分の力が十分にありましたからね。

室町幕府が滅びて、次の幕府は江戸幕府です。
江戸時代になって御屋形様の名称はなくなりませんでした。

名門の家や室町幕府から御屋形様を許可されていた大名には屋形を名乗っていいよと江戸幕府も許可します。
あと殿様と区別するために御三家にも屋形の名称を免許しています。

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殿は誰が使用してもいい

殿は貴人に対して使う敬称です。〇殿と時代劇では使用されます。
関白殿、上総介殿、御堂殿、三河守殿、清盛入道殿などなど。

殿は普通に目上の人に対して使う敬称みたいなものです。
便利なものですよね。しかも誰が使ってもいいので。
殿の名前は屋形と違って誰かに許可されてから、使うものではなかったのではありません。

使用する人の感覚に左右されます。
殿には目上の人に対して幅広く活用されていた言葉なのではないでしょうか?
しかも殿の方が昔から馴染まれていたのはないかと私は考えています。

戦国時代では織田信長や徳川家康が殿(との)と呼ばれます。
屋形の名称が許可されていない大名は殿です。

 

御屋形=昔から、殿=新興

昔からその土地で力を発揮し、中央で勢力を与えた勢力=御屋形様と捉えて
下剋上などで大名になった大名=殿でいいと思います。

御屋形様=室町幕府以前、もしくは室町幕府体制化で大きな力を持っていた勢力ということを理解してね。
それ以外は昔から伝わっている殿がそのまま使用されたということです。

それでは、でこぽんでした。

 

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