映像の世紀「20世紀の幕開け」感想

      2016/06/09

映像の世紀「20世紀の幕開け」

どうも、デコポンです。
映像の世紀を改めて見てます。
実際に動いている人を見ると、やはり色々思うことがあります。

今回の映像の世紀第1章「20世紀の幕開け」は、19世紀後半からサラエボ事件までです。

基本的に平和な時代がであり、映像で人々が動く時代の始まりでもあります。
見て思ったことを自分なりにまとめてみました。
どうぞ、読んでください。

ボタン32個?重装備パリ貴婦人

19世紀後半、パリ上空では飛行船が飛んでいました。
遊覧飛行で金持ちの人が楽しんでいたようです。

当時の人々の格好は今と比較すると凄く正装でした。
男性はタキシードでネクタイを装備して、真っ黒の帽子を身に付けていました。
女性もロングスカートで頭にアクセサリを付けていました。
羽のような、花のようなものでしたね。

で、ビックリしたのがボタンの数です。
手に付けているアクセサリのボタンの数は32です。
服装のあらゆるところにボタンを付けるのが流行でした。
しかも、コルセットもきつくしすぎでなかなか脱げません。

流行語として「さぁ、着飾って外へ」です。
着飾りすぎです。

こんな重装備で外に出てたら、着替えるの面倒すぎるな~と感じました。

 

パリ万国博覧会での蛇の踊り

パリ国際博覧会でのルイ・フェローの蛇の踊りにびっくりです。
大きな布を何枚も回しつつ、踊ります。
布はから回ることもなく、まるで生き物のように動きます。

人間業ではない、ものすごいものを見せてもらい感動しました。
これ今でも金を貰えるスゴワザです。

動く歩道にもの珍しそうに、笑顔で乗っている人達がいました。
子供のようにいい笑顔で見ている私もホッコリします。

やっぱり人間珍しいものを見ると、楽しい気分になるもんだな~と安心しました。
昔も今も変わらないことです。

しかし、パリの路地裏では決闘が行われていました。
100年前のフランスで決闘があったことに衝撃でした。
決闘の決着方法はその時次第だったとのことです。
「手に傷をつけたら、勝ち」「デスマッチ方式での勝ち負け」
個人で決まることだから、本当に多種多様だったのでしょうね。

あと有名な画家がフィルムに映っていました。
印象派のクロード・モネもいましたね。

立派な髭のじいさんでした。
やっぱりヨーロッパの人って髭が凄く生やしていますよね。

 

ロンドン大気汚染やばい。やばすぎる

20世紀前半のロンドンの町ではバスや場所がありました。
名物の2階建てバスがあって、このころから2階建てのようです。
しかも、馬車も2階建てでした。馬大丈夫かなと心配になってしまいました。

あとバスに広告が貼ってありました。
やっぱり、今も昔も広告を大衆にさらすのは日常的なものだな~。

当時のロンドンは渋滞がすさまじく、バスの排出と馬糞により衛生状態がやばかったようです。
映像でも、灰色で大気汚染のすさまじさが垣間見られます。

マスクやハンカチを手に当てていないので、呼吸器官を悪くした人いろだろうな・・・。

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ビクトリア女王を始めて見た

私はビクトリア女王が動いているのを始めて見たのが映像の世紀なんです。
ビクトリア女王といえばイギリスの最盛期を築いた女王。
力強い、派手な印象がありましたが、実際は違いました。

即位60周年の記念行儀が行われていた映像での、ビクトリア女王の姿は弱々しかった。
夫をなくして黒い喪服、150㎝の小柄な老婆の姿でした。
歩くのも大変そうで、部下に手を取られて歩く様子もヨロヨロしていました。

ビクトリア女王は他のヨーロッパ王家に多くの親戚がいたことも知りました。
19世紀のことを知る上でビクトリア女王とイギリスのことをもっと学習しないと駄目ですね。

 

イタリアからやった来た移民のアメリカ

19世紀のアメリカには多くの移民がやって来ます。
イタリア、ポーランド、ロシア、北欧などなど。

その中には後の喜劇王チャップリンもいました。

チャップリンもイギリスから1917年に移民しました。
チャップリンが見たアメリカの印象です。

これがあの冒険心と向学といささかの恐怖を持って、憧れていたニューヨークでした。
ニューヨークはなによりもまず大企業の街でした。見上げるような摩天楼。街を行く人は他人の都合などほとんど考慮に入れていないように見えたのです。
愛想よくしたり、丁寧な口を利いたりすることなど、まるで人間としての弱さと考えているかのように無表情にすましこんでいるのです。

アメリカ人というのはエネルギッシュな夢に取り付かれた楽天家であり、挫折を知らない冒険家であり、いつも素早い大儲けを狙っている。

「成功しろ」
「出世しろ」
「裏をかけ」
「商売変えろ」

こうした態度も、次第に私の心を明るくしてくれるようになりました。
「そうだ・・・どうなろうと・・・アメリカで頑張ろう」
私は決心しました。
~チャップリンの自伝より~

上昇志向の強いアメリカ社会で影響を受けたのでしょうか?
金を稼ぐことを考えている人達と一緒にいれば同じ考えになってきます。

移民して喜劇王となるチャップリン。
まさにアメリカンドリームの体現者ですな。

次にイタリアからやってきた女性移民のアメリカに関する感想です。

私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。

しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、道には黄金など敷かれてはいないということ

次に、そもそも道はまったく舗装されてさえいないこと

そして最後に気付いたのは、この道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした。
~イタリア移民の手記より~

アメリカでは移民から成功した人もいます。
しかし、誰でも成功するわけでなく失敗する人もいます。

有名になり金持ちになる人もいれば
明日への仕事を探すのに苦労する低賃金の仕事に就くしかない人もいます。

しかし移民がいたことでアメリカ社会は大きく発展しました。
最近アメリカで移民に対して厳しいですけどね。

 

植民地経営を映像で流していた

ヨーロッパ列強の植民地の経営というものを映像で見ました。
映像では鉄道のレール半分側を10人以上で歯を食いしばりながら、運んでいました。
植民地での指揮官の指示に黙々と死んで目で作業する植民地の人々。まさに奴隷です。

また、大木を切る作業を2~3人でする人々もいました。
今なら人権侵害で訴えられそうなことですが、
当時は植民地経営の映像を一般の人に公開していたことです。

植民地経営が上手に行われているのを国民に知らせていたのです。
当時の人がどういう反応を示したのかはわかりませんので,ここも自分なりに勉強しないとですね。

 

トルストイ人気ありすぎ

ロシアで有名な作家トルストイ。
私も戦争と平和を題材にしたDVDを見たことあるので馴染みがあります。

やっぱり文豪らしく髭がいっぱいありました。
なんか仙人みたいに優しそうな人だなと感じました。

そのトルストイがモスクワのクルクス駅にやってきた時です。
もうトルストイ見たさで大衆がどんどん押し寄せてきます。
当時は映像技術が発展してないので、スポーツ選手よりも作家が人気者だったようです。

それにしても、髭のじいさんに群がる人達の集団。
今ならカルト団体の光景かもしれませんね。

作家が人気あるのもよくわからない時代ですね。
やっぱり映像よりも小説ぐらいしか娯楽がなかったからでしょうかね?

 

イギリスダービーで抗議の自殺

1913年のイギリスダービーで女性解放運動のリーダーが抗議の自殺をします。
柵をくぐって馬に激突することで抗議したとのことです。

騎手は怪我をして、馬はそのままゴールし、抗議した女性は死亡しました。

実際にこんなことが起きたら俺だったらキレますね。
「ダービーは競馬関係者の夢です。ダービーに命を懸けている人だっています。」
そんな真剣勝負に政治的な目的で勝負を台無しにする行為。

騎手や馬、調教師、馬の生産者の無念を思うと怒りが爆発します。
勝負の世界に政治の思惑を入れるのは漫画や小説だけにして欲しいものです。

 

それでは、でこぽんでした。

 

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