真田幸村はじつは赤備えではなかった。赤いのは部隊

      2017/01/01

幸村 赤くない

大河ドラマでも放送されている「真田丸」の主役、真田幸村。真田幸村と言うと、大坂の陣で赤備えで徳川家康を追いつめる大活躍をしました。そして幸村=赤いという印象が一般的です。

2次創作、ドラマでも赤がイメージカラーになってます。
しかし、本当は最初から最後まで赤備えではなかったのではないかというのが私の考えです。

 

大坂冬の陣では赤くない?

幸村は大阪の陣では赤備えであったと伝わっています。しかし、幸村に兵を赤くする資金はあったのでしょうか?

幸村は九度山に幽閉されている間、貧しかったという話です。兄の信幸に生活費を頼りに暮らしていました。
生活費にこまっている40歳後半のおじさん。

兵を赤くする金の余裕はなかったのではないかと思います。

しかも幸村が大坂城に入った時の名声はあまり高くありません。
「真田昌幸の二男であること」ぐらいの評判だったのではないでしょうか?

そもそも幸村自身の名声が高いなら徳川家から許しを得ているはずです。立花宗茂は関ヶ原で西軍に属して、浪人をしていました。徳川家はもしも戦が起きた時に、宗茂が反徳川勢力に入るのを防ぐために宗茂を復権させたとも言われています。

幸村が大物として大坂城に入城できたのでしょうか?幸村は大坂方の浪人募集の時に黄金200枚、銀30貫を貰ったらしいですが本当なのでしょうか?

赤備えは、自軍の兵士を赤い色で統一する軍団です。装備しているものを深紅に染めることです。

現代社会なら赤く塗るのはすぐできるかもしれません。しかし、1615年です。幸村の軍勢は1500~3000ぐらいだったとのことです。

どうやって赤くなったのでしょうか?
食べるものにも困っていた40オーバーのおっさんに鎧を赤くすることは可能だったのか?

とても謎です。

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冬の陣の活躍で赤くなる

真田幸村は大坂冬の陣で大活躍します。冬の陣では真田丸を築いて、敵を散々に打ち払います。

冬の陣の活躍により、自軍を赤備えにする余裕ができたのではないしょうか?
そして、武田の赤備えから続く赤備えをしたのでは?

真田は名護屋で赤備えであることが確認されているので、赤備えにすることはありえたでしょう。

大坂の陣の合戦屏風を見ると、旗は赤いです。しかし、鎧はそんなに赤くないです。

真っ赤ではなく一部赤の甲冑だったのかもしれません。
ただ幸村本人は赤くないと思うのです。あくまで赤かったのは幸村の部隊だったのではないしょうか?

 

幸村は赤くない

真田幸村は大坂の陣だけでなく他にも戦に出ています。

赤備えの始まりは武田信玄の家臣飯富虎昌と言われてます。
虎昌の後は弟の昌景が引き継ぎます。

武田滅亡後は徳川家康が旧武田家臣を登用します。
赤備えは井伊直政が引き継ぎ「井伊の赤鬼」と恐れられます。

真田家は赤備えであったかと言うと、朝鮮出兵の際の名護屋在陣でわかります。
「信濃史料叢書911ページ」

9人の家臣に武者揃えの支度を命じて、その時の装束については、いつものように赤武者であること

いつものようにという意味なので、もしかしたら真田家の舞台は赤備えだったかもしれません。
しかし、部隊は赤備えであっても本人は赤くなかったのではないでしょうか?

昌幸、信幸、幸村の甲冑はどれも現存している甲冑は黒い色ばかりです。

 

 

まとめてみる

幸村=赤備えです。ゲームやアニメやドラマでは幸村って赤いです。

ただ歴代の昌幸、信幸、幸村が実際に使用していたと伝わっている甲冑は黒いので、真田家のリーダーは赤くなかったのではないかと思ってます。

赤いとかっこいいからね。 以上です。

 

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