【オスマン帝国】オルハンがバルカンに躍進

      2016/06/09

【オスマン帝国】オルハンがバルカンに躍進

どうも、でこぽんです。
オスマン帝国とバルカンのことを勉強しています。

前回はオスマン1世について話しました。
混乱の西アナトリアで勢力を拡大させたオスマン1世。
オスマン1世はブルサの包囲中に亡くなります。

後継者となったオルハンは西アナトリアでの勢力拡大
そして、海峡を渡りバルカン半島に攻め込みます。

オルハンの時代にオスマン帝国の基盤ができあがったと言えます。

では、拡大とその詳細について語りたいと思います。

 

西アナトリアでの有力勢力

オルハンはオスマン1世が攻略中であったブルサを陥落させます。
ブルサをオスマン侯国の首都として、この地にオスマン1世を埋葬しました。

オルハンは軍事行動を続けて、1331年にニカイヤ、1337年にイズミットの征服をします。
ニカイヤの攻略中にビウンティン帝国正規軍に勝利したのも大きいです。

ビサンティン正規兵の撃退、そして北西アナトリアにおける自立。
国家としての活動の証拠として1326年~1327年付きの貨幣も現存しており、
貨幣を作れるほどの勢力になったことがわかります。

当時この地を旅行したイブン・バットゥータの記述があります。
1332年にオスマン朝に関することです。
興亡の世界史10~P37より

トルコ系遊牧民の様々な王のなかでももっとも権力があり、
財産、領有する土地と軍隊の数ではもっとも多くを所有する。
彼は100か所近くの城塞を所有している

 

バルカン進出のきっかけ

オスマン侯国は北西アナトリアでの基盤を固める中、
バルカンへの進出する機会はビサンティン帝国からのアプローチがきっかけです。

ビサンティン帝国は強大な敵を倒すために、有力勢力と手を結ぶスタイルです。
ビサンティン帝国のアナトリアの敵は海を渡って略奪をするカレスィ侯国でした。
カレスィの動きを抑制させるために、オスマン朝と1333年同盟します。

カレスィ侯国をどうやって征服したかは不明だが、内政に干渉した結果、
1345年にカレスィ侯国を併合します。

カレスィ侯国は海を渡って、略奪をしていました。
その海軍力ー海を渡る船や航海のノウハウ、技術ーを得たオスマン侯国が
バルカン半島への進出を始めます。

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ガリポリへの進出


オスマン侯国は1354年にガリポリでの地震がおきます。
きっかけにガリポリを含む海峡沿いの地域を支配します。

ガリポリ周辺地域からオスマン侯国はバカルン半島を征服していきます。
ガリポリはオスマンにとってバカルン進出の入り口だったのです。

当時のビサンティン皇帝ヨハネス6世はガリポリの返還を求めますが、
オスマンは要求に応じることはありませんでした。

1354年バルカン半島進出に危機感を感じたのはセルビア王国のステファン・ドゥシャンです。
ステファン・ドゥシャンに率いるセルビア王国は、当時のバルカンでの最有力の王国です。

オスマン侯国を警戒していたステファン・ドゥファンですが、
1355年に急死しています。

急死なので、セルビア王国は一気に衰退して、
セルビア王国の支配下にあった諸地域が分裂状態になります。
諸勢力が入り乱れ、統一された勢力がない状態に陥るのです。

オスマン侯国にとってステファン・ドゥファンの死は非常に運が良かったことです。

このようにオルハンの時代は西アナトリアでの基盤確立。
そしてガリポリを支配して、バルカン進出の始まり。

オルハンは1362年に亡くなります。

この次はオスマン侯国ムラト1世がバルカンでの勢力拡大を開始します。

 

それでは、でこぽんでした。

 

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